憎しみとともにしかない愛、というものはあるなあ。解放されたい。
よそさまのお子様が、たとえば生後三ヶ月の赤子が、虐待の末死亡などと聴くと、どうしてあんなに小さな、か細い声の、動くこともできない対象を暴行できるのだろうと思ってしまうが、ふと、わたしも生後三ヶ月のころは娘が怖かったなあと思いだす。 今思えば…
育児する女性研究者のロールモデルが見つからないとピーピー泣いていたわたしに、ある憧れの女性研究者が、「ロールモデルにこだわりすぎているんじゃない?もっと自由に生きていいんじゃない?」と金言授けた。 ハッとした。そんなつもりはなかったのだけれ…
死ぬことについて考えてしまう。この世のよろこびを知らぬまま死んでいったような気がする沢山のいのちについて考えてしまう。いつか生物学を学んだ友人が、生きているということは細胞レベルでは日々死んでいくようなことだから、死ぬことは恐くないと言っ…
先日、育児中の女性研究者が集う交流会があった。いまだ男性ばかりのアカデミアにおいて、女性研究者しかも育児経験者が出会える場はそう多くない。ひとしきり自分の経験・不安・不満・幸福などを語らせていただいたところ、ひとりの社会学者がこう言った。 …
女であることの特権は、徴兵逃れと親権、かもしれない。 後者についてはわたし自身も夫婦喧嘩の切り札として活用すること多々である。わたしを怒らせるなら離婚してやる、離婚したらもう娘には会わせないから、と怒鳴りつけた先の夫の眼たるや、性の不平等に…
シャンプーの香る柔らかい髪の中に鼻先を埋めて、「だいじ、だいじ」と呟くと、「ダァジ、ダァジ」と返ってくるから、なんどもなんども「だいじ、だいじ」と繰りかえす。この声がピッタリ後頭部に張り付いて、いつか彼女の足かせになりますように。重い重い…
家父長制が女性に強いる、もっとも辛くみじめなことは、自尊心を失わせることだ、と思う。「おるか?」という挨拶が、子どもが居ないのならば、あなたも居ないのだと言うかのように投げかけられて。子どもが居るのならば、奪いとられて。結局のところ、透明…
深夜、赤ん坊の泣き声で眼が覚めて、こわばった身体がうまく動かない。夢を見ていた。ゾンビのような人間たちの群れと、女の子たちのひそひそ話が連なったイメージ。夢だった、動き始めた頭に断片的な思いが押し寄せてくる、なんで生きてるんだろうとか、こ…
朝。慌ただしく子どもを保育園へと送り届け、疲れた心に染み入る、ラジオの声。「阿佐ヶ谷姉妹の、お困りでしたらぁ~♪」とはじまる。 生活に生じるさまざまなお困り事に応じた相談窓口を、阿佐ヶ谷姉妹の二人が教えてくれるのである。「今日はどんなお困り…
今日も赤ん坊は、よく泣く。起きて泣き、食べて泣き、食べおわって泣いたら、なにもないのに泣く。言葉がこのような感情を表出するために育つのだとすれば、言葉以前の赤ん坊に教えられるのは、この泣く感情のとてつもない頻繁さである、わたしたちはもうそ…
朝と午後、子どもを保育園に送迎する間だけ、ラジオを聴いている。先週は「時の日」なるものがあり、ラジオのお便りテーマも「時間」だった。えー、今週のお便りテーマは「時間」です。時間にまつわるエピソード、どしどしお寄せ下さいね。ではさっそく、京…
家にいるのに、家がない。誰よりも長くずっと家にいるのに、椅子にも机にも窓にも自分がいない。そんなひと、いっぱいいるのだろうと思う、家の中に隠れて。だから、家から出ていくひとは、実はそのようにして、深く深く家を探していたりする。ほっつき歩く…
晩夏。 「ワークライフバランス」という言葉。仕事一辺倒の資本の奴隷から、ライフを考慮した豊かな生活へ、そしてライフの実りをワークへ還元!というこのスローガン…結婚と仕事の二者択一状態で長年悩んでいたころには、この言葉こそ希望の光であり、なん…