解放されたい。
憎しみとともにしかない愛、というものはあるなあ。解放されたい。
赤子にたいする恐怖
よそさまのお子様が、たとえば生後三ヶ月の赤子が、虐待の末死亡などと聴くと、どうしてあんなに小さな、か細い声の、動くこともできない対象を暴行できるのだろうと思ってしまうが、ふと、わたしも生後三ヶ月のころは娘が怖かったなあと思いだす。
今思えば、たしかに小さく、か細い声で、動くこともできない赤子なのに、あの頃狭い部屋、一対一で娘に対面していると、ほんとうに怖かった。泣きだせばまるで拳銃片手に脅されているような気もしたし、止まぬ泣き声は耳を塞いでも浸食してきて、頭を内側から殴られつづけているような思いがした。娘はわたしの強権的な支配者だった。
どうすれば泣きやむのか分からず、身体は糸の切れた操り人形のように力が入らず、ただ見つめていると痛みに意識を失ってしまいそうだった。娘は諦めて泣きやむということの無い子だったから、一時間でも泣きつづけていた。人はいつでも、恐怖をもって人を傷つけるのだと思う。
ロールモデルという言葉について
育児する女性研究者のロールモデルが見つからないとピーピー泣いていたわたしに、ある憧れの女性研究者が、「ロールモデルにこだわりすぎているんじゃない?もっと自由に生きていいんじゃない?」と金言授けた。
ハッとした。そんなつもりはなかったのだけれど、「ロールモデル」という言葉が、「ワークライフバランス」や「男女平等」に代わるわたしの呪縛になりつつあったかもしれない。ロールモデルなど要は真似事にすぎず、オリジナルな自分でいることを阻害してしまうのかもしれない・・・・・・。
でもね、という思いもある。本当に自分一人の闇のなかに立たされてみたら、人は歩き出せるだろうか。何も見えない、何も想像できない、闇のなかで・・・・・・。なにもロールモデルの足跡に自分の足を忠実に当てはめたいわけじゃない、でも、いくらかの足跡さえ見えれば、歩けることぐらいは分かる。歩き出せれば、自分らしい道を探すこともできる。わたしは、途方に暮れている。
ある社会学者に出会った女
先日、育児中の女性研究者が集う交流会があった。いまだ男性ばかりのアカデミアにおいて、女性研究者しかも育児経験者が出会える場はそう多くない。ひとしきり自分の経験・不安・不満・幸福などを語らせていただいたところ、ひとりの社会学者がこう言った。
「では、育児中の研究者をサポートするために、どんな制度が必要だと思いますか?」
ごもっともな質問だと思う。しかしなぜだか虚をつかれた感じがあった。頭の中がひっくりかえる感じがあった。制度のことなど、考えたことがなかった・・・・・・!私の頭の中は、いまある制度の中でやりくりすることでいっぱいで、制度を変えるべきかとか、変えるならどのように変えるべきかなど、考えたことがなかったし、考えたことがなかったことに気づいてすらいなかった。
不意の質問にオタオタする私は、まるでフェミニストに「個人的なことは政治的なことよ」と囁かれた女たちのようだった。目を開かれる気持ちになると同時に、ほんの少しの疑念も残る。ほんとうにこれって政治的なことなの?いえいえ、だってこんなことやあんなことはすっごく個人的なことで、きっとだれにも共有できないことじゃない?ほんとに、あれだけはもうぜったい私しか経験していないってぐらい、個人的なことなんだから、そんなことまで政治的だと言う勇気も図々しさも無い、誰かに話すことも躊躇しちゃうぐらいよ・・・・・・でもどこまでが個人的で、どこからが政治的かって分かんない、まさか、もしかして、私の経験の中に、ほんのちょっとは政治的なことも混じってるのかしら・・・・・・
女であることの特権は
女であることの特権は、徴兵逃れと親権、かもしれない。
後者についてはわたし自身も夫婦喧嘩の切り札として活用すること多々である。わたしを怒らせるなら離婚してやる、離婚したらもう娘には会わせないから、と怒鳴りつけた先の夫の眼たるや、性の不平等に怒れるフェミニストそのものである。つまりわたしは、性を逆手にとった差別者である。そして子どもの人権を考えず物扱いしている。醜い。などと言われようともかまわない・・・・・・。だって夫婦生活の不幸があるとすれば、それはわたしが女であることに端を発するのだから。わたしだって女であることの特権を享受させていただこう。醜い醜い傷つけあいの結末として。